数々の伝書や漫画の中ではかなりいい男ってか、男気溢れる感じなのに、
某銀魂って漫画ではゴリラ扱いなんて・・・。
まぁ、他のキャラもぶっ壊れ全開のマックスバカな感じですけどね。
新撰組ではやっぱり斉藤さんが1番大好きな千葉の1番隊隊長の私です(笑)
どーもコンニチちょんまげ!
いやはや、しかしながら新撰組っていつでもかなり人気ですよね。
なんでしょう。あの羽織がいいんでしょうか?
むしろアレは海外の方とか好んで着そうな感じ満載ですけどね。
お土産屋さんにたくさん並んでますもん。江戸村とか(笑)
っとまぁ。
お土産トークはココまでにしまして。
実は千葉にも新撰組ゆかりの地があるんですよ~ってな感じで本日は新撰組のことです。
総武流山電鉄流山駅から徒歩3分のところにあるのは
近藤勇陣屋跡です。新撰組の中でも局長ですよ!
この千葉県の流山市に来てたんですね~。
慶応4年(1868年)4月2日大久保大和と名乗る近藤勇を隊長とした
幕府公認の治安隊(実態は新選組の生書残り)流山に駐留してきた。
この流山駐留について、従来の研究では、会津入りを果すための中継地点として、
約2週間ほどの駐留が行われたものと考えられてきた。
しかし、昭和50年に足立区西綾瀬(当時の五兵衛新田)の金子家から、
慶応4年3月から4月にかけての動向を示す貴重な文書が発見され、歴史の空白を埋めることになった。
金子家史料によれば、慶応4年3月6日に甲州勝沼で板垣退助の率いる官軍に敗れた甲陽鎮撫隊150名は江戸に敗走。
13日夜には浅草から五兵衛新田の金子家へ入った。
この夜、大久保大和を先頭に48名、2日後には約50名の第2陣が内藤隼人(土方歳三)に率いられて金子家に入った。
これ以降、4月1日まで隊士の徴募を行った後、4月2日未明から午前中にかけ、
総勢200余名が流山へ移動したのである。
流山での駐留は、本隊が酒造家長岡屋へ、分隊は光明院、流山寺等に宿をとったとみられている。
翌3日、流山に賊徒が屯集しているとの情報を得た新政府軍の先峰隊(香川敬三隊)は流山を包囲した。
しかし戦闘体制が整っていなかったため、大久保大和は総督府へ出頭して幕府公認の治安隊を主張したが、
近藤勇であることが露見。捕らえられて4月25日、板橋宿で処刑された。
一方、流山に残っていた隊士たちは4月6日会津へ移動を始めるが、
奥州道中などの主要路は、既に新政府軍が押さえていたため、布佐(我孫子市)から利根川を船で下り、
銚子から船を乗り換え、潮来から陸路で水戸街道へ抜けるという、つらい移動であった。
という歴史があるんですね。
流山は、近藤勇が最後に陣営を敷き、ついに自首した地である。
近藤勇が流山を選んだ理由はよくわかっていないが、最終目的地である会津へ向かうため、
なるべく官軍の手薄な道を選んで途中、分散した同志を集め、
新部隊を編成する目的で陣を敷いたと考えられている。
陣営の地は、常与寺の裏手、現在では、酒類問屋となっているが、当時は長岡屋という酒造家であった。
官軍は羽口の渡しを渡ってこれを包囲した。
流山のまちを兵火にまきこむことを嫌った近藤勇は、ここで自首する。
なんてかっこいい男なんでしょうか!
全国に転々とある新撰組ゆかりの地ですが、ココほどかっこいい場所ってないんじゃないでしょうか。
かっこいい近藤さんを感じてみたくなった人は是非千葉の流山へ♪
幕末気分がほんのすこーし味わえちゃうかもですよ^^